ボブ:ディラン ロック講談:田辺一鶴          記・ときめき屋正平

発掘!ラジオアーカイブス  2021.4.17 NHK第一 13051400

 らじる・らじるセレクト ロック講談 (新聞)番組案内による

 

“ロック讃歌~ボブ・ディラン~ハイウェイ61の壁を超える日”

講談:田辺一鶴 進行:後藤康之

初放送198611日   NHK・FM再放送20201128

再々放送 2021417日 NHK第一(一部再構成版)

 

始めに・・・聞き流しのラジオから語り口が講談でボブ・ディラン?の名が聞こえてきた。なんのことかいな?と音を大きくして聞くこととなった。実は昨年岩波書店からボブ・ディランの英詞と日本語への対訳本が出版されていて、読み進める途中で中断していた。「らじる・らじる」を3度再生した。人名、地名、西暦年月などが、なかなか書き取れないことが多かった。このロック講談はシリーズで、1982年から1993年まで、ジミ・ヘンドリックス、ツエッぺリン、ジョン・レノンなどを語ったそうである。異色の番組であったが、当時放送されたことは知らなかった。とても若い時に英学者の東海小磯先生によるボブ・ディランの2作品の訳詩を読んだことがあった。氏の訳詩には、本文よりの注釈記述の方が長い徹底した翻訳だったことを覚えている。小生は「風にふかれて」をぼんやりとしかおぼえていない有様である。

 

講談師ヒゲの一鶴さんは、1620年スコットランドから大陸への移民から説き起こしました。600以上の作詞、12500万枚に達するレコード販売の実績などロックの巨人の伝記を語り出しました。1960年代のフォーク・ミュージックの革命児ボブ・ディランは1941年月24日ミネソタ州生まれ。父親のピアノを弾き、隣家のこどもの弾くギターとこのピアノを交換。6歳のときグリーサーズ・エコに転居。鉄鉱石の露天掘り(長さ3マイル、高さ50フィート・現在は廃鉱でゴーストタウン)の穴は、観光資源となっている。15歳でエルビス・プレスリーに憧れロックバンドを結成した。ミネアポリス大学中退。ハイウェイ・ルート61をバイク走り回っていたらしい。21歳でニューヨークに出た。あこがれのガスリーの見舞いに行った。1961年には謄写版印刷の「ブロードサイト」誌に彼の楽曲が登場する。グロスマン氏のマネージ、評論家のロバート・シゲルトンに評価を受けた。1961年~63年はジョン・F・ケネディ大統領就任と公民権運動が激しく起こった。638月のワシントン大行進では「風に吹かれて」の大合唱となった。ボブ・ディランはプロテストソングの旗頭となった。

1965年7月25日の第5回ニューポート フォークの祭典でボブ・ディランは全身黒づくめの衣装、白いエレキギターをかかえてのロックンロールを演奏した。その後アルバム「追憶のハイウェイルート61」を発表した。

 その後日本では、岡林信康、吉田拓郎、小室等誕生のきっかけとなった。

 

と一鶴さんは講談を締めくくった。