1910年日本は、韓国を併合し、韓国は植民地となる。1919年3.1独立運動起こる。
1923年(大正12年)9月1日 関東大震災で10万人が命を落とした。9月1日午後から、日本の社会主義者や朝鮮人が井戸に毒を入れている、放火している、という流言、蜚語がひろがり、飛び火していく。 ラジオなく、電信電話は壊滅。警視庁も震災で建物が炎上し、正常な統制、伝達が機能していなかった。
内務省警保局の通達では「陰謀を謀る不逞(ふてい)鮮人・・・」の文言がある。 海軍の舟橋送信所では、別途確認するすべもなく流言を信じ、朝鮮人が襲ってくるので応援を求める電報を打電したりなど、軍隊も混乱していた。 流言蜚語が千葉県、埼玉県へ広がっていく。猜疑(さいぎ)が猜疑を呼ぶ。不安が不安を呼ぶ。 埼玉県染谷市では、自警団などがこん棒、鍬、金づち、竹槍、マサカリ、日本刀、銃で朝鮮人を殺害した。 殺害の後「バンザイ」と声があがったという。
いまも、東京・横網町で朝鮮人慰霊の集会がある。 参加した在日女性は、霊は「いまなお、なぜ、おれは殺されなければならないのかと、問うている」と語ります。 当時東京都内に5000人以上の朝鮮人出稼ぎ労働者がいた。 日本の土木工夫、井戸掘り、日雇い人夫たちは、安い工賃で仕事を朝鮮人に奪われる不安をもっていたので怒りが爆発した。 差別意識と経済的な対抗意識―蔑視と恐怖―があった。流言を否定することができなかった。 否定する、対抗する情報がなかった。 被害朝鮮人は刺殺、銃殺、撲殺などで、9月6日までに231人(警察調べ)が記録されている。 9月20日戒厳令施行。裁判の判決は懲役2,3年でどれもが執行猶予がついた。 視覚、聴覚障碍者など日本人51人も犠牲になった。 このほど中央防災会議が組織され消防・医療など、国の組織として初めて検証することとなった。 災害の教訓や殺傷事件の詳細分析、内務省(警保局)、軍、警察、市民の行動など調査された。(2009年3月報告書刷成)
参加者は16人。視聴後の感想発言の抜粋メモ。
〇日本人て良い隣人だった、だけではなかったと思う。学校では時間切れで、歴史は大戦後まで教わらず だった。日本が韓国を併合したことが、今の南、北にわかれる原因となっている。
〇この事件は知らなかった。
〇埼玉の事例がたくさん出てきた。自分は埼玉出身である。祖父が木材会社を経営していて、朝鮮人を
かくまったことが、後の村史に記録されている。祖父の葬儀に朝鮮婦人3人が弔問に来られた。
〇こういう事件を含めて人間の弱さだと思う。民族虐殺事件が今もある。無知ではいけない。
〇怖い。上の人の指示で殺してしまう。
〇東成区・生野区に住んでいたが、このような(殺害)の事は知らなかった。ずっとあとで知るようになった。
〇東住吉区の朝鮮人がたくさん住んでいる所で、一緒に遊んでいたけど、・・・。群集心理はこわい。
〇このことは最近知ったが、当時の状況からみると、やむをえなかったかと思う。が、いま、国とか警察の指示 で、事件に巻き込まれないように、気をつけたい。自分がもっとしっかりしていないと。
〇その頃の教育は歴代の天皇の名前を暗記させていた。震災後は新聞も発行されず周りの言うことだけを 信じる以外になかった。だから割り木、日本刀、槍などで殺してしまった。
〇徳島の田舎に住んでいたので、このようなことは知らなかった。
〇丹波の田舎にいた。関東大震災は知っていたが、殺人の事は知らなかった。
〇通信手段がなかった。が、いまインターネットでも広がるけど、今の方が格差、差別などでひどい。
〇貧しい、労働格差をつくるのは何か。戦争難民を作り出す今。当時日本人土工などは、朝鮮人などが来るの で仕事を奪われる、賃金が増えないなどで、不安、不平、不満が朝鮮人に向かった。互いを思いやることが 大切。